白央篤司の独酌ときどき自炊日記Ⅱ

郷土の食、健康と食をテーマに書いています。連絡先→hakuoatushi416@gmail.com 著書に『にっぽんのおにぎり』『にっぽんのおやつ』(理論社)、『ジャパめし。』(集英社)。2016年10月に『にっぽんのおかず』が発売になりました。3部作完結!

野際陽子さん、逝く。

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野際陽子さん、急逝の報。

信じられない。

各社ニュースで報じているから、本当なんだよな…と思いつつ、ツイッターを眺めていた。81歳はまだまだ、早い。

 

UCカードの会報誌でインタビューさせていただいたのはいつだったろう。

調べてみたら9年前、2008年のことだった。上の写真はそのときのもの。

 

あの日は暑い夏の日で、スタジオに現れた野際さんはタイトなシャツというのか、カットソーというのか、とにかく薄着で体の線がわかるトップスだった。

スッと伸びたその背筋のよさが目に焼きついている。人生で猫背になった瞬間など一秒たりともないかのようだった。どうしても二の腕やわき腹には年齢が出るものだが、一切のたるみがない。それがいかにもエクササイズで鍛えています、お金をかけています…といった“無理感”がなくて、学生の背中のように自然なスリムさで、なんだか若い頃のジェーン・バーキンのような無性の魅力がその背中にはあった。

 

偉ぶらないかただった。
私など野際さんからしたら孫のような年齢のインタビュアー、彼女の代表作のひとつ『キイハンター』だって年代的に観られてないのだ。でも彼女は真摯に、大女優ぶること一切なく、あれやこれや胸襟を開いて話してくださった。

 

野際さんの経歴を聞いて驚かない人はいないと思う。

まず立教大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入社(当時はあの伊勢湾台風の現地レポートなども体験されたそう)。その後に博報堂からヘッドハンティングされて退社するも、すぐにTBSからオファーを受け司会者としてデビュー。そして女優にもなり、間をぬってフランスのソルボンヌ大学へ留学…。

「シンデレラ何人分?」と言いたくなるほどの強運。当時のマスコミ、女性で社員募集というのも希少な時代だ。そして人間、運だけではダメなのはご承知のとおり。強運を活かし、次につなげるだけの努力はどれほどのものだったろうか。

 

書くほどに、あの日のことが思い出される。

ジェームス三木監督の映画『善人の条件』での野際さんが、私は好きだった。

たしか愛人役で、地方の料亭の女将さん役。

「最初、野際さんだってわかりませんでした。あまりに田舎の、ちょっとせわしない女将さんって感じで。きれいにつくらないで、すごいなあ…って」

 などとミーハーに尋ねる私に野際さんは笑って、

「もうどうやって汚そうかっていつも考えるぐらいでね。きれいにしたいとかそういうの、全然ないですよ」

 と答えてくれた。

女優さんで司会業も兼ねられる仕事のレンジの広さを称賛すれば、

「司会もできて女優もできて、ということなら森光子さんだっていらっしゃる。私なんてたいしたことないんです」

 と手を振られた。先輩の名前を出して謙遜するところにお人柄を感じた。

千葉真一さんとの離婚のことも率直に語ってくださった。仕事人としての生き方を重点的にまとめたかったので、私としてはさほどつっこんでお聞きすることもしなかったが、「共同生活」を営む上での男女差における苦労…というのは時代もあるだろうが、大変だったようだ。おつらかったようだ。

 そのあとは役者仕事のお話ばかり、“冬彦さん”の母親役の演技プラン話は聞いていて実に楽しかった。そのほかの仕事話をお聞きするうち、

「私ね、夫に不満を持って刺し殺すって役もやったことあるんですよ」

 と、野際さんは言われた。ちょうど千葉さんとの離婚前の頃とのこと。私は…ちょっといたずら心が湧いてしまい、

「スーッとなさいました?」

 と訊いてみた。野際さんは一瞬ビックリしたような顔をされたが、

「スーッとしたって…あなたねえ」

 眉をしかめつつ、笑ってくださった。

 

インタビューが終わり、さよならの時間になった。

「お仕事本当にお忙しいでしょうが、どうぞお体お気をつけてください」

みたいなことを私が言ったんだと思う。

「今の仕事が終わったらね、久しぶりに休暇でフランスに行くの。ブルターニュ地方。楽しみなんですよ」

 なんて、教えてくれた。

「じゃあ、ムール貝とワインが楽しみですね」と返せば、「ええ、あとクレープもね!」と言って微笑んだ野際さんの顔。花が咲いたようなあの瞬間が忘れられない。

 

心より、ご冥福をお祈りします。

もし野際さんに興味をもたれたかたは、自伝の『脱いでみようか』という本がとても面白いので、ぜひ探して読んでみてください。

あらためて、合掌。あんな素敵なかたと一度でもお会いできてよかった。

 さようなら、野際陽子さん。

 

2017年6月15日 白央篤司

 

 

 追記

 

① 15日(木)スポーツ報知の追悼記事、彼女の足跡を丹念に記したすばらしいものでした。

キイハンター」「ずっとあなたが好きだった」など多くのテレビドラマで活躍した女優の野際陽子さんが13日に死去したことが15日、分かった。81歳だった。関係者によると通夜、葬儀は終了したという。現在放送中のテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」(月~金曜・後12時30分)にレギュラー出演しており、突然の訃報に周囲も驚いている。

 昨年4月に一部週刊誌で、2014年に肺がんを患い治療し、15年に再発し腫瘍の摘出手術を受けたことが報じられた。所属事務所は「野際は健康問題を含め、個人的な事柄につきまして公にコメントすることは遠慮させていただきたい」と回答。「今までもいくつかの病を経験してはおりますが、元気で明るく過ごしております」とコメントしていた。また、今年3月16日に行われた「やすらぎの郷」制作発表は、メインキャストの中で野際さんだけが欠席していた。

 野際さんは富山県富山市生まれ。3歳から東京・杉並で育ち、立教大卒業後の58年には、合格率0・3%の狭き門を突破してNHKにアナウンサーとして入局した。60年から同局「おはようみなさん」の司会などで活躍したが、62年にNHKを退職。同年、広告代理店で3か月勤めた後、フリーアナとしてTBS系「女性専科」の司会を務めた。

 63年にTBS系「悲(ひ)の器」で女優デビュー。大学時代に劇団に所属していたこともあって、以後は女優として活躍していく。66年にはあこがれだったフランスのソルボンヌ大学に留学し仏文学を学んだ。帰国後の68年、TBS系「キイハンター」で女優復帰したが、同番組は5年間放送され、最盛期には視聴率30%を超えるなど大ヒット。野際さんの代表作となった。

 73年には「キイハンター」で共演した千葉真一(78)と結婚。75年に長女で女優の真瀬樹里(42)を出産したが、94年、米に活動拠点を移そうとした千葉に対し「アメリカには行けない」と希望し離婚した。

 92年のTBS系「ずっとあなたが好きだった」で息子を溺愛する姑役のイメージが定着。安定感のある演技を見せ多くのドラマに出演した。NHKのアナウンサー時代から交流のある女優の黒柳徹子(83)と公私ともに交流が深く、テレビ朝日系「徹子の部屋」には女性ゲスト最多の21回出演していた。

 

 ② 黒柳徹子さんの追悼文。

大好きだった、そして仲良しだった野際陽子さんへ

 NHKに入ったのが、およそ60年前。あなたはアナウンサー、私は放送劇団。その頃からもう気が合っていて、一緒にフランス語を習ったり、同じお洋服屋さんで、お洋服を作ってもらったり。

 私は、あなたの感覚が、好きだったし、何より正直だった清らかなあなたが好きでした。

 長いことFAXでやりとりしましたね、流れるように美しい字のあなたのFAXは、カタカタと静かに送られてきました。大きくてガタガタの字の私のFAXは、あなたと対照的に、恐らく、ドタドタとお宅に到着したことでしょう。

 いつになったら、あなたが「やすらぎの郷」に沢山出ていらっしゃるかと、楽しみにしていました。あなたが病気で、それどころではない、なんて知らなかったのよ。一緒に芝居をやりましょうとか、よく話しあいましたね。

 野際さん、胸がいっぱいで、悲しく、なんと言ったらいいのか、わかりません。転勤で名古屋でのあなたの個人アパートに泥棒が入った話は、おかしくて「徹子の部屋」だけでも、4回は、して頂きましたね。いやがらずに、よく話して下さったわね。

 この2、3日は、ずっとあなたのことを考えていました。どうしてでしょうね。

 そういえば「死」ぬときのことなんかも、呑気に話しあっていましたね。次に、あなたとお会いしたときに、どんなだったか話しあいましょうね。

 野際さん、あなたのいらっしゃらない、この世界は、寂しいです。本当にお友達がいなくなったようです。

 じゃ、今度お会いするまでね。お友達でいて下さってありがとう。