あのひとには、徳があった。
品があるというのだけではなく、もっとあたたかで、大きくて。「高雅で俗で」ということを成したひとだと思う。
私は落語というものの楽しさを、このかたによって知った。
今頃は「『地獄八景亡者戯』のほんまはどないなもんやろか」なんて仰って、あちこち見て回っているのだろうか。
パソコンに入れてあるCDをちょっとかけてみたら、胸がいっぱいになって涙が出てきた。著作はほぼ読んでいる。
私は冗談ではなく、あのひとの書生になりたかった。二十代前半の頃に出会っていたら本気で頼み込んでいたと思う。事務所の雑用でもいいので、側においていただきたかった。
米朝さんは、あの世にいったらまず真っ先に誰のところに行くのだろう。探求心旺盛な米朝さんのこと、三遊亭圓朝のところに駆け寄っていって「ずうーーっと訊きたいと思ってたことがありますのや」なんて質問するのじゃないだろうか。そして先に逝かれた絹子夫人が「あたしには目もくれず!」なんて笑って怒ってるような気がする。
しばらくは聴けないなあ…。
ありがとうございますとしか言えません。 合掌。
白央篤司