白央篤司の独酌ときどき自炊日記Ⅱ

フードライター。郷土の食、栄養、暮らしと食をテーマに執筆しています。連絡先→hakuoatushi416@gmail.com 著書に『自炊力』『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『ジャパめし。』(集英社)など。メシ通『栄養と料理』『ホットペッパー』などで執筆中。

大歌手の死 崇めていました、ジェシー・ノーマン。

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十月はじめの朝。

クラシックの大歌手ジェシー・ノーマンの訃報を知る。まだ74歳。NYタイムズの記事によると、4年前から脊髄損傷を抱えていたようで、敗血症による多臓器不全が死因のよう(記事は下に)。

 

つけていた『あさイチ』を消す……ぼうぜん。

 

 

思い出話。

1980年代半ば、ニッカのCMでアメリカのソプラノ歌手・キャスリーン・バトルが起用され、『オンブラマイフ』という曲と共に日本でも広く有名になった。リリックでチャーミングな声の彼女は人気を博し、私もファンになった。

その流れで、のちにジェシー・ノーマンと共演した黒人霊歌ライヴのアルバム(1991年発売)を聴いたんだが……これがもうショックで、ショックで。

 

なんという深みのあるドラマティックな声だろう。そしてスケールの大きさ。湖のような、海のようなその世界。砲撃のようなフォルティシモを表現するかと思えば、すばらしく抑制のきいたピアニッシモ雄大なフレージングを紡いでいく。テクニカルだけど一切の作為がない。

 

すっかりまあ……シビれてしまい、来日公演を2度ほど体験した。やっぱり録音じゃ全然「そのひと」なんてわからない。出てくるだけで「何がスペシャルなことがこれから始まる……」と予感させる威厳はけた違いだった。ディグニティとはまさにあのこと。

演目(曲目、というよりノーマンの場合はこっちのほうがふさわしい)が終わるごとに高揚する客席、こぼれるため息。学生だった私は3階の一番安い席で聴いていたが、思い返せばすぐそばで迫ってくるように歌いかけられたように思えてならない。あの不思議な「近さ」は何なのか。迫る力と書いて迫力だが、まさにこういうことかと思う。

聴く我々は緊張と弛緩、その繰り返しに心地よく疲労しつつ客席がどんどん一体化してゆく。「とんでもないものを体験している」という実感と喜びに包まれていく。アンコールが終わったときそれは頂点に達し、2階、3階席の人々は興奮のあまりステージまで詰めかけ、通路は人で埋まった。そのとき会場にあったのは喝采と陶酔のみ!

 

あんなに沸いたサントリーホール東京芸術劇場はその後私は体験できていない。老いも若きもが芸術的なエクスタシーに酔っていた。そのときの彼女は歌手や芸術家というよりも、なにか偉大な祭祀のような存在に思えた。

 

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そう、ジェシー・ノーマンの歌には「崇」というものが詰まっている。崇高であり、ひとを崇拝させる何か。まさにDIVINEであり、ディーヴァという表現は彼女を観てから使ってもらいたいとすら思う。崇拝のほかにも、降臨とか拝謁とか、非日常的な言葉がまことふさわしい人だった。

「だった」、なんて書くことがものすごくいま、悲しい。

 

 

シューマンシューベルト(『魔王』に驚いた人は多いでしょう)もワーグナーリヒャルト・シュトラウスもフランス歌曲もよかったけど、やっぱり黒人霊歌(スピリチュアルズ)、それもアンコールのテンションで歌われるそれを経験した人は間違いなく彼女の歌の「囚人」になったことだろう。私がそのひとりだ。脳天に響き髄を貫く、あの声。

 

ああ、ジェシー・ノーマン! あなたを崇めていました。どうか安らかに。

 

 

白央篤司

 

 

 


Jessye Norman - Les Chemins de l'amour (Poulenc)

 

 


Jessye Norman Samson and Delilah Improved Sound

 

 

ニューヨークタイムズの訃報記事

Jessye Norman, Regal American Soprano, Is Dead at 74
A multiple Grammy Award winner, she was a towering figure on the operatic, concert and recital stages.
Jessye Norman, the majestic American soprano who brought a sumptuous, shimmering voice to a broad range of roles at the Metropolitan Opera and houses around the world, died on Monday in New York. She was 74.

The cause was septic shock and multiple organ failure following complications of a spinal cord injury she suffered in 2015, according to a statement by her family.

Ms. Norman, who found acclaim as well as a recitalist and on the concert stage, was one of the most decorated of American singers. She won five Grammy Awards, four for her recordings and one for lifetime achievement. She received the prestigious Kennedy Center Award in 1997 and the National Medal of Arts in 2009.

 

NHKの訃報記事

アメリカの人気オペラ歌手、ジェシー・ノーマンさんが30日、敗血症などのためニューヨーク市の病院で亡くなりました。
74歳でした。

ジェシー・ノーマンさんはジョージア州オーガスタで生まれ、地元の教会や学校で歌の経験を積み、ラジオでオペラに親しみました。

首都ワシントンのハワード大学や、ミシガン州ミシガン大学の大学院で音楽の教育を受けたあと、ヨーロッパに渡り、1969年にベルリン・ドイツ・オペラでワーグナーの「タンホイザー」のエリーザベト役を演じて「歴史的なソプラノ」などの高い評価を受け、1972年にはヴェルディの「アイーダ」でイタリア・ミラノのスカラ座で初舞台を飾りました。

1970年代の中盤から後半はオペラの舞台から遠ざかりますが、80年代に復帰してからは古典から20世紀の作品までを幅広く演じ、世界で最も有名なソプラノ歌手の1人となりました。

ノーマンさんの歌声はドラマチックで力強いだけでなく伸びやかな高音が特徴で、黒人霊歌やジャズなどのコンサートも開き、1996年に故郷のジョージア州で開かれたアトランタオリンピックの開会式で歌うなど、アメリカを代表する歌手として知られています。

家族が発表した声明によりますと、ノーマンさんは30日、4年前のけがと関連する敗血症と多臓器不全のため、ニューヨーク市内の病院で亡くなったということです。