久々に小津映画を観ました。
DVDで『小早川家の秋』(こはやがわけのあき)、1961年の作品。昭和でいうと36年か。坂本九の『上を向いて歩こう』がヒットして、アメリカではケネディ大統領が就任した年なんですね。
この映画をはじめて観たのは十代の頃、今はなき銀座・並木座でした。京都・伏見の造り酒屋一家の夏を描いた作品。25年ぶりぐらいの再見です。
まずもって目を引かれたのが新珠三千代の巧さ。なんという自由な呼吸感…! 物語のポイントを的確にシメて、ユーモアを漂わせ、主役格の中村鴈治郎と絶妙に絡む。あんな大役者と対峙して一歩も引いていませんでした。すごい。
ちなみに鴈治郎はん、小走りになるだけで滑稽味をかもす…という至芸を本作でもたっぷり披露。一流の舞台人だからこその凄みですな。
そして何よりも大河原友雄による小早川家のセット、素晴らしいの一語。夏の日本家屋の美、眼福でした。大河原氏は『宗像姉妹』(1950)でも小津さんと組んでいるんですね。
昔は気にも留めなかった湯呑やら、小道具類を見るのが本当にたのしい。新珠さんが使ってるヒョウタンの団扇、ほしいなあ…。クラシックな家屋の中で目立つ七色のチェスト、あれは子供用なんでしょうね。新珠さんが着ているジョン・スメドレーっぽいニットも気になる。衣装でいえば監督ごひいき、浦野理一さんの着物もたくさん観られます。夏映画なので浴衣もたっぷりと。小林桂樹が来ていた横縞の浴衣、いいなあ。
小津さんの好みと執着に包まれる、これこそが小津映画を観る悦楽ですね。
「食卓の小物配置は、リアリティではなくすべて構図が優先」
以前にこんなことを小津のドキュメントで聞きました。嵐山の法事シーンではそれを強く実感。リアルに食べてる配置じゃないんですね。撮影ではこれらの配置決めに相当時間をかけたと聞きます。
先の下川原さんの証言では「障子の桟の縦が何本、横は幾駒に割った方がいいか」ということまでイチから小津さんが指示して作らせていたとか。(『小津安二郎と20世紀』千葉伸夫 国書刊行会)
えらいこっちゃ。
『小早川家の秋』は、小津映画に原節子が出演した最後の作品でもあります。ずっと和服姿なんですが、このひときものでも結構大股で歩くんですね。それでも優美さが崩れない不思議。
保津川のほとりで司葉子と話しつつ動きがシンクロするシーン、もはや現代舞踊的に思えました。病気や法事といったリアルな展開を描くはざまに、とても不自然なものを入れてくる。その「綾」こそが小津的というか、独特のリズムと呼吸が生まれる。
この映画は全編が関西を舞台にして、聞こえてくる言葉はすべて関西弁なんです。ただ原さんだけが「他から嫁いできた」という『東京物語』(1953)の設定さながら、いや『麦秋』(1951)のその後という感じで東京風のお嬢さん口調。
最後の「私はこのままでいいのよ」というセリフ、小津安二郎の祈念に思えてなりません。そして原さんは翌年の1962年に、誰に宣言するわけでもなく女優を引退。
(『晩春』1949年)
そして、森繁久彌。
去年あたり、BSフジで社長シリーズが定期的に放送されてたんですよ。これで初めて観たんです。社長シリーズの森繫を知ってから『小早川家の秋』を観ると面白いですねえ。なんかこう…バッハの楽譜の中でジャズピアニストが孤軍奮闘しているような面白さ。2シーンのみの出演ですが、司葉子さんが「何十回も撮り直してましたよ」とドキュメントで証言されていました。
(BSジャパン『武田鉄矢の昭和は輝いていた』2017年2/2放送分)
ラストシーン。
十代の頃の初見の際、ここの黛敏郎の音楽がすごく不気味だった。強烈に覚えています。やっぱり今回も……うーん、違和感。「死の灰じゃないんだから」なんて思っちゃうな。やっぱりあまりに寂しすぎるクロージング。司葉子の決意にどうしてもっと寄り添ってあげなかったんだろう?
追記
新珠三千代の好演があまりに印象的で、何かご本人は思い出を語られていたかな…と思い久々に『君美わしく 戦後日本映画女優賛』(川本三郎 文藝春秋 1996)を開きました。『小早川家の秋』出演後、
「今度もう一回やろうね、やろうねって。そして、夜ね、遅おくにね、今ね、赤坂の『若松』にいるんだよなんてよく電話がかかってくるようになってね」
と、新珠さんが思い出を語られていました。本作のウィキには「小津が再出演を熱望」みたいに書かれているんですが、これを出典としているのかな。
川本さんのこの本は本当にいい本なので、昔の日本映画女優好きの人はゼヒ探して読んでみてほしいです。文庫版があるはず。
このブログを書くために、久しぶりに引っ張り出した小津本に早速やってきたグジュさん。猫パンチが日に日に強くなっています。