逗子で行われた友人の結婚式の後、茅ケ崎館に一泊してきました。
かつて小津安二郎監督が常宿とされ、脚本執筆のさいに使われていた…というこの場所。いつか訪れてみたかったんです。JR茅ヶ崎駅から、徒歩だと20分しないぐらい。
太平洋戦争の災禍を免れた建物は国の有形文化財に登録されています。素泊まりなら7千円前後というのも魅力。
随分と遅くに着いてしまい(東海道線を寝過ごすという痛恨のミス…!)、ご迷惑おかけしました。女将さんに平謝り。お風呂に入って即就寝。
翌朝は快晴、庭のみどりがまばゆかったです。
この奥が、小津さんがよく泊まっていたという部屋。
「二番の部屋」というのが小津監督のお決まりだったそう。はじめて仕事部屋に使われたのが昭和12年というから、1937年のこと。おお、なんと80年前ですか。
室内はいたって普通の造りなんです。私の写真の腕ではどうにもうまく撮れなかったので、館の名誉のためにも自粛。ご興味のあるかたはぜひ泊まってみてください。
この障子の向こうには、まだ芙蓉が咲いていました。ちょうど海の方向にある窓です。昔はもっともっと、潮風が感じられたろうな。
畳に寝そべっての一枚。
この天井を小津安二郎も見上げてたんでしょうかねえ。
(逗留中の小津監督には)来客も多く、ご自分で酒の肴を料理して持て成すのがお得意でした。煮詰まったすき焼きにカレー粉を加えた「カレーすき焼き」は最上級のサービスで、その洗礼を受けるのは、小津監督にとって親しい客人に限られていました。田中絹代、池部良、高峰秀子の各氏などは間違いなくおつきあいされた方々でしょう。その時の遺跡がいまでも天井に油染みとして残っております。
と、茅ヶ崎館のホームページにはあるんですが…天井のシミ、正直よくわかりませんでした。ちなみに、池部良さんはそのカレーすき焼きのことを「まずかった」とエッセイに記しています(笑)。「うまいもんじゃなかった」だったかな? また池部さんの本、読み直してみよう。
こちらは中庭。
白萩がきれいでしたよ、地面にも雪のように。
朝風呂。明治時代の造りで、特徴ある天井は「唐傘天井」と呼ぶのだとか。お湯が熱めで、年季の入った木桶に風情がありました。この天井が文化財登録の決め手になったとも聞きます。
正面玄関を入ったところ。入って右側にすぐ、
厨房がありました。
そして正面口からこの眺めに続きます。
こちら広間では句会や上映会、邦楽の演奏会なども開かれるよう。
私は昭和36年にここに嫁いだので、原さんに直接はお目にかかってないんです。でもね、ホウレン草のバター炒めが好きだったなんて聞きましたよ。そしたら古くからいる仲居さんが「あのような方はそういうものは召し上がりません」なんて言いましてね(笑)。
とのこと。いろんなお話を気さくにしてくださいました。
やっぱり、もう小津さんたちを実際に世話されたかたは現役ではないようですね。残念ですが、時代の香りはしっかりと感じられました。
小津さんの映画にどうにも魅せられたのは30年前。以来、ずっと幻影を追い続けています。
玄関わきには一輪の彼岸花。たった一輪だけの。
やっぱり思い出しますよね。うれしかったな。咲いていてくれてありがとう。
そしてまだ露草も。夏と秋が交錯する時期にここに来られて、よかったです。
せっかくだから、海も散歩しますかね。茅ヶ崎館から歩いて5分ぐらい。
朝7時の海。釣り人やジョギングする人がけっこういました。何かの撮影もやってましたね。「誰もいない海」というわけにはいきませんでした(笑)。
すぐそばのマンションに「サーフボード置き場」があるのにはびっくり。さすが茅ヶ崎…。近くのデニーズには地域限定メニューとして名物の「シラス丼」がありましたよ。小津さんはシラス、好きだったろうか。