新潟に行っていました。
写真は新幹線で通過中の、越後湯沢です。
雪が少ないですねえ。やっぱりこちらでも暖冬とのこと。
昨年末に、伯母を亡くしました。
レイコさんという、母の長兄のお嫁さん。
その長兄と、末っ子の母とは20歳も年が違うんです。
母にとって、レイコ伯母さんは母代わり的な存在だったそう。
そういう背景もあってか、私もまるで本当の孫のように、かわいがってもらいました。
と、いってもよく会っていたのは、実の祖母が生きていた中学生の頃まで。
もう、何十年も会っていませんでした。
あんなによくしてくれたのに、何もお礼もせず、お礼も述べず。
失礼をしてしまいました。
いくらでも、手紙でもなんでもできたのに。
黒いネクタイを探して収納ケースをひっくり返すけれど、見つからない。
ふと見たら、日頃さわらない洗濯機の上の棚からぴょろっと黒タイの先が。
ああ、そうそう。こんなところに突っ込んだっけ…。
レイコさんが出してくれた…とはさすがに思いませんでしたが、
「ありがとうございます」と一応、心のなかでつぶやきました。
朝の東京駅、8:24発の上越新幹線へ。
朝ごはん。確か…1080円だったような。
多品目だとかなりの満腹感が得られますね。
デザート代わりか、大学イモが1個入っているのが妙にうれしい。
コンビニでも売ってほしいな、これ。
三が日を過ぎての新潟行きはとても空いていて、自由席も楽勝でした。
よく晴れて、暖かい日だったな。
新潟駅から白新線に乗り換えて、新発田へ。そこから車で20分ぐらいかな。
あの赤い橋、なつかしい。よく下の川で泳いだもんです。
1月なのに、この雪のなさ!
本当ならば、いちめん雪また雪。
目が痛くなるような白光の中、
色のあるものは南天の実だけ…なんて世界が広がっています。
風がないと雪の降り方がとてもゆっくりで、ふしぎな重力感になるんですよ。
雪って音を吸うらしいんですが、
そのせいか無風時は妙に「しん…」とするんですね。
あの静けさ、重力の軽くなってる感じが好きで、よく降り積むさまを見ていました。
「16年ぶりぐらいの暖冬だよ」
いとこのヒデちゃんの言。
お葬式をつつがなく終えて、泊まらせてもらう伯父さんのうちへ。
この囲炉裏にあたるの、それこそ20年ぶりか…いやもっと前か。
うちの母は5人きょうだい、長女のセツコ伯母さんの煮もの。
この伯母さんにも本当にお世話になったし、迷惑もかけたなあ…。
85歳とは思えない元気さに、びっくり。
元気で、よかった。
ワラビの煮たの。
こういう山菜のおかずが、それこそいつでも卓にある。
それが、“おばあちゃん家”でした。
こんな感じで、どっちゃりとね。
(この日はお葬式の帰りだから折詰のものが多いです)
何かしらの煮ものと漬けものが常に食卓にはあって、
夏だとレースの、柄のない傘みたいな蠅除けがいつも載ってました。
まるで黒澤映画のような風景ですが、母の実家の周辺です。
夏にはガマがいっぱいに生えて、田んぼの脇を歩くと次々と蛙がポチャンと音を立て。
モリを持って川に行き、カジカという小魚がとれると天ぷらのごちそうでした。
木枠にガラスを張った昔の水中眼鏡のようなもので狙うんです。
夜は虫の声がうるさいほど。
あの頃にみた天の川の大きさときらめきは、まだわが心に残っています。
私は昭和50年生まれですが、
こういう自然の情景を幼児期に体験できて、幸せだったなあと思っています。
夏休みと冬休み、母の実家に遊びに行くのは、本当に楽しみだった。
そしていつも、レイコさんはまめまめしく働いていました。
昔のお嫁さんらしく、いっぱいに働いて、お風呂に入るのはいつも最後。
お風呂にもよく入れてもらったな。
お菓子のひとつでも贈っておけばよかった。
なんて怠惰だったんだろう。
ごめんなさい。
手を合わせて線香をあげて、東京に帰ってきました。
帰りに新潟駅の回転すし屋さんで食べた、「のっぺ」です。新潟郷土料理の代表格。
品書きにあるのを見つけて、
「おっ、これはゼヒとも食べて帰らねば!」と思ったんですね。
のっぺに限らず、郷土料理って自分の親戚筋のぐらいしか、なかなか食べられないし。
里芋が必須なんです。そのほかはかなり家によって様々。
根菜類、かまぼこなどの練りもの、コンニャクやキノコなど、
具だくさんで、汁ものと煮ものの中間的な存在。
ここのお店は、里芋、ニンジン、エノキに糸コン、タケノコ、マイタケ、エノキ、シメジ、ギンナンにカマボコ、鶏ささみ、最後にイクラのせでした。
すごく、さっぱり味だったな。
イクラも生のままの人と、火をしっかり通す人とで分かれます。
「新潟人の数だけのっぺがある」私は、そう思っています。
あれ。
「レイコさんもよーくのっぺを作ってくれたけれど、どんなのっぺだったかなあ…」
ふとカウンターに座って、考えました。
そう思っても、食べた記憶しかないんですね。
具体的に何が入っていただろう…と考えるのですが、
なんせ最後に食べたのが小学生ぐらい、里芋の他の具材がリアルに思い出せない。
「聞こうと思えば聞けたのにね」
誰かに、そう言われたような気になりました。
そう思ったらなんだかこらえられなくなって、涙が出て止まらなくなりました。
声をなんとか押し殺して、少し落ち着くまで待って、新幹線へ。
帰りの自由席は新潟から満席。
立ち乗りで通路までいっぱいでしたが、運よく座れました。
新潟はこの日、雨。
しかし越後湯沢を抜けると快晴で、雲ひとつなく。
急に原稿の締め切りのことが思い出されて、
次回のネタはどうしよう…と考えるうち、少し腫れたまぶたが重くなっていきました。