白央篤司の独酌ときどき自炊日記Ⅱ

フードライター。郷土の食、栄養、暮らしと食をテーマに執筆しています。連絡先→hakuoatushi416@gmail.com 著書に『自炊力』『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『ジャパめし。』(集英社)など。メシ通『栄養と料理』『ホットペッパー』などで執筆中。

レイコ伯母さん、さようなら

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新潟に行っていました。

写真は新幹線で通過中の、越後湯沢です。

雪が少ないですねえ。やっぱりこちらでも暖冬とのこと。

 

昨年末に、伯母を亡くしました。

レイコさんという、母の長兄のお嫁さん。

その長兄と、末っ子の母とは20歳も年が違うんです。

母にとって、レイコ伯母さんは母代わり的な存在だったそう。

そういう背景もあってか、私もまるで本当の孫のように、かわいがってもらいました。

 

と、いってもよく会っていたのは、実の祖母が生きていた中学生の頃まで。

もう、何十年も会っていませんでした。

あんなによくしてくれたのに、何もお礼もせず、お礼も述べず。

失礼をしてしまいました。

いくらでも、手紙でもなんでもできたのに。

 

黒いネクタイを探して収納ケースをひっくり返すけれど、見つからない。

ふと見たら、日頃さわらない洗濯機の上の棚からぴょろっと黒タイの先が。

ああ、そうそう。こんなところに突っ込んだっけ…。

 

レイコさんが出してくれた…とはさすがに思いませんでしたが、

「ありがとうございます」と一応、心のなかでつぶやきました。

 

朝の東京駅、8:24発の上越新幹線へ。

 

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朝ごはん。確か…1080円だったような。

 

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 多品目だとかなりの満腹感が得られますね。

デザート代わりか、大学イモが1個入っているのが妙にうれしい。

コンビニでも売ってほしいな、これ。

 

 三が日を過ぎての新潟行きはとても空いていて、自由席も楽勝でした。

よく晴れて、暖かい日だったな。

 

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新潟駅から白新線に乗り換えて、新発田へ。そこから車で20分ぐらいかな。

あの赤い橋、なつかしい。よく下の川で泳いだもんです。

 

1月なのに、この雪のなさ!

本当ならば、いちめん雪また雪。

目が痛くなるような白光の中、

色のあるものは南天の実だけ…なんて世界が広がっています。

風がないと雪の降り方がとてもゆっくりで、ふしぎな重力感になるんですよ。

雪って音を吸うらしいんですが、

そのせいか無風時は妙に「しん…」とするんですね。

あの静けさ、重力の軽くなってる感じが好きで、よく降り積むさまを見ていました。

「16年ぶりぐらいの暖冬だよ」

いとこのヒデちゃんの言。

 

 

お葬式をつつがなく終えて、泊まらせてもらう伯父さんのうちへ。 

 

 

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 この囲炉裏にあたるの、それこそ20年ぶりか…いやもっと前か。

 

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 うちの母は5人きょうだい、長女のセツコ伯母さんの煮もの。

この伯母さんにも本当にお世話になったし、迷惑もかけたなあ…。

85歳とは思えない元気さに、びっくり。

元気で、よかった。

 

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ワラビの煮たの。

こういう山菜のおかずが、それこそいつでも卓にある。

それが、“おばあちゃん家”でした。

 

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こんな感じで、どっちゃりとね。

(この日はお葬式の帰りだから折詰のものが多いです)

 

何かしらの煮ものと漬けものが常に食卓にはあって、

夏だとレースの、柄のない傘みたいな蠅除けがいつも載ってました。

 

 

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まるで黒澤映画のような風景ですが、母の実家の周辺です。

 

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夏にはガマがいっぱいに生えて、田んぼの脇を歩くと次々と蛙がポチャンと音を立て。

モリを持って川に行き、カジカという小魚がとれると天ぷらのごちそうでした。

木枠にガラスを張った昔の水中眼鏡のようなもので狙うんです。

夜は虫の声がうるさいほど。

あの頃にみた天の川の大きさときらめきは、まだわが心に残っています。

 

私は昭和50年生まれですが、

こういう自然の情景を幼児期に体験できて、幸せだったなあと思っています。

夏休みと冬休み、母の実家に遊びに行くのは、本当に楽しみだった。

そしていつも、レイコさんはまめまめしく働いていました。

昔のお嫁さんらしく、いっぱいに働いて、お風呂に入るのはいつも最後。

お風呂にもよく入れてもらったな。

お菓子のひとつでも贈っておけばよかった。

 

なんて怠惰だったんだろう。

 

ごめんなさい。

 

 

手を合わせて線香をあげて、東京に帰ってきました。

 

 

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 帰りに新潟駅の回転すし屋さんで食べた、「のっぺ」です。新潟郷土料理の代表格。

品書きにあるのを見つけて、

「おっ、これはゼヒとも食べて帰らねば!」と思ったんですね。

のっぺに限らず、郷土料理って自分の親戚筋のぐらいしか、なかなか食べられないし。

 

里芋が必須なんです。そのほかはかなり家によって様々。

根菜類、かまぼこなどの練りもの、コンニャクやキノコなど、

具だくさんで、汁ものと煮ものの中間的な存在。

ここのお店は、里芋、ニンジン、エノキに糸コン、タケノコ、マイタケ、エノキ、シメジ、ギンナンにカマボコ、鶏ささみ、最後にイクラのせでした。

すごく、さっぱり味だったな。

イクラも生のままの人と、火をしっかり通す人とで分かれます。

「新潟人の数だけのっぺがある」私は、そう思っています。

 

あれ。

「レイコさんもよーくのっぺを作ってくれたけれど、どんなのっぺだったかなあ…」

ふとカウンターに座って、考えました。

そう思っても、食べた記憶しかないんですね。

具体的に何が入っていただろう…と考えるのですが、

なんせ最後に食べたのが小学生ぐらい、里芋の他の具材がリアルに思い出せない。

「聞こうと思えば聞けたのにね」

誰かに、そう言われたような気になりました。

そう思ったらなんだかこらえられなくなって、涙が出て止まらなくなりました。

声をなんとか押し殺して、少し落ち着くまで待って、新幹線へ。

 

帰りの自由席は新潟から満席。

立ち乗りで通路までいっぱいでしたが、運よく座れました。

新潟はこの日、雨。 

しかし越後湯沢を抜けると快晴で、雲ひとつなく。

急に原稿の締め切りのことが思い出されて、

次回のネタはどうしよう…と考えるうち、少し腫れたまぶたが重くなっていきました。